富士山はなぜ「ふじさん」と呼ばれるの?
日本の宝であり、絶大な存在感と人気を誇る「富士山」。
2013年2月26日には 世界遺産に登録され、日本のみならず世界にその名を轟かせ話題となりましたね。
そこで質問。みなさんは富士山についてどこまで知っていますか?
学校の教科書で勉強した「標高3776m」は知っていても、専門家や登山家でもない限り、
「富士山の美しさが分かっていれば、別にいいじゃん!」 て思いますよね。でも、ちょっと調べてみると、意外に面白いエピソードがわんさか!!!
せっかく世界に誇れる山となった訳ですから、日本人として、富士山の知識を増やしちゃいましょう^^
Sponsored Link
富士山はなぜ「ふじさん」と呼ばれるの?
田中さんはなぜ「たなかさん」っていうの? てくらい当たり前の質問に聞こえますが。
実はこの呼び名、色んな説(日本語説、南方語説、アイヌ語説など)があるものの、由来があるのです。
☆日本語説
「不尽山」
永遠に尽きる事なくそびえたつ山、という意味を込めて、山部赤人(やまべのあかひと)が万葉集の中で「不尽山」と詠んだ際、あて字したと解釈する説
「不死山」
昔話「かぐや姫」のもととなっている竹取物語で、かぐや姫が帝に「不老不死の秘薬」を渡す。しかし、かぐや姫が月に帰ってしまい悲しみに暮れ生きる希望を失った帝が、日本一高い山でこの秘薬を焼いてしまったことから「不死山」と呼ばれ、鎌倉時代には今の「富士山」になったとされる説。
☆南方語説
「puji(プジ)」
この説は有力で、マレー語で、素晴らしい、素敵だという意の「puji(プジ)」がなまって出来たという説。
他にも、ふたつとない山という意味で「不二山」など諸説ふんぷんですが、
誰の目から見ても美しい〜という事だけは共通した事実ですね。
富士山は徳川家康のものだった??
「富士山は誰のもの?」と聞かれると、なんだか違和感がありますね。
あえて答えるなら、「日本人みんなのもの」でしょうか。
でも意外に知られていませんが、富士山の八合九勺(3360m)から上は 「私有地」なのです。
誰が所有しているのかというと、全国に1300以上あり富士宮市宮町に総本宮がある、浅間神社。
そして、そもそもの持ち主は江戸幕府の大将軍、徳川家康で、1606年、浅間神社に寄贈されたと言われています。
ところが、明治維新後の1807年に国有地化。
太平洋戦争後に国有化された全国の土地が寺社に返還される中、 富士山頂だけは一部を除いて返還されませんでした。
1974年最高裁判所の判決によって、あらためて浅間神社のものと認められましたが、 それでもなかなか返還されず、(静岡、山梨両県の県境が画定せず登記できなかったため)2004年、財務省東海財務局が県境問題よりも返還を優先。
富士山山頂は実に134年ぶりに、持ち主である浅間神社のもとに戻ることができたのです。
富士山は「神様のもの」と思えると、今まで以上にその崇高さと神々しさが際立ってきますね。日本人として、一生に一度は山頂まで登ってみたいものです。
女性は富士山に登ることを許されなかった?!
全ての女性から非難の声が聞こえてきそうな気がしますが^^;
昔の日本は男尊女卑だったといっても、 山くらいフツーに登れたでしょー!と個人的にも訴えたいところです・・・。が、実はこれ、本当の話なのです。
平安時代から富士山は山岳信仰の対象となっており、その時代「不浄」と考えられていた女性には登山が許されなかったのです。
「まったく失礼な話ね!」と怒りの言葉をぶつけたいところですが、当時は信仰上の理由で仕方がなかったようです。ちなみに大相撲の土俵なども「女人禁制」。
そのため、江戸時代の女性たちは吉田口登山道2合目の御室浅間神社までしか登れず、神社東南1km上の「女人天拝所」から、その雄大な絶景を眺めていたそうです。
しかーし。 「女をナメたらあかんぜよ!」とばかりに、富士山に登っちゃった女性がいます。
彼女の名前は、高山たつ。
たつさんは、男女平等を訴えていた小谷三志ら男性たちの協力を得て、チョンマゲを結い、男装をして山に入り、見事山頂まで辿り着いたのです。
江戸時代(天保3年)旧暦で9月26日のことで、これが記録に残る女性初の登頂!
その後、明治5年(1872年)の女人禁制解除で、女性たちも山に登ることが出来るようになりました。
高山たつ。現代で言えば、政治家の田中眞紀子さんのような人だったのでしょうか。
いつの時代も女性は強くたくましい!そして、そんな女性たちをも虜にする富士山。
永遠に、私たちを魅了し続ける事でしょう。